孤独について(3) ~ 「同調圧力」と、「わたし」
「サイレント・マジョリティー」や「アンビバレント」、最近では「角を曲がる」を聴くとよくわかることだが、欅坂の多くの楽曲に通底するテーマは「人々とわたしの、共存と対立」だ。黒い羊もその延長線上に位置する作品と言えるだろう。特に最近の「同調圧力」という言葉に代表される様な社会状況の中では、平手友梨奈というキャラクターは、「それに流されない、屈しない、わたし」を演じさせるとピッタリとハマる。
この社会と相いれない、でも、そんな社会の中で生きていくしかない「わたし」というのは、70年代フォークなどでも定番のテーマだ。吉田拓郎が「生きていくのは、あ~、みっともないさ」と唄うと、ファンたちは、「拓郎、わかる、わかるよ~!」と、強烈に共感を示した。 ~ この構図は、欅坂を聴いている今のファンにも通じる鑑賞態度だろう。根っこには、社会になじめない自分、あるいは、そんな社会に逆照射された自分に対する「絶望」への「共感」がある。(実際、最近の欅坂46の楽曲は、フォークっぽい香りのするものが多い。→「角を曲がる」https://www.youtube.com/watch?v=J3_IdDAr-dk)
私は、高校生のとき担任との折り合いが極端に悪く、閉塞感に苛まれていたが、もしあの時代に欅坂の様なグループがいたなら、間違いなく今のティーンのように、夢中になっていたと思う。 ~ "黒い羊"は、オレだ、と。
この「これって、オレ!」という鑑賞態度に思いを致したとき、ここで気が付いたことがある。
自分が中学・高校時代、確かに吉田拓郎はメジャーなアーチストではあったが、クラスの中で彼のファンというのは、決して多数派ではなかった。こういった、ある種の屈折した心象を持つというより、むしろ、健康的にクラブ活動にいそしんでいるというのが当時のメジャーな高校生の姿であったと思う。では、欅坂の現在のメジャーさが意味するものは何か・・・とりもなおさず、自分を「黒い羊」だと思っている若者が多々いるということだ。かくも生きにくい時代に、若者たちはいるのか・・・と。
で、その生きにくさの原因になっているのが最近とみに強くなってきている「同調圧力」だと思う。 ~ 「同調圧力」とは、意見や姿勢が違うことを認めず、同じ方向を向かせ共生させようとするとを指す。そして、そんな社会で、平手友梨奈は「黒い羊」であり続けることを覚悟する。それに共感する若者がいる・・・・ここで問題。では、
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人は「同調」なしに「共生」できないのか。