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PIZZICATO FIVE,TOKYO!

このビデオの4分28秒あたりに、私が映っている。場所は、恵比寿ガーデンホール、ピチカート・ファイヴ 1994年12月4日のライブだ。

実はライブの直前の11月18日に突然父を亡くしてした。冷たい雨の降る工事現場で脳幹出血を起こし、脚場に意識を失って座り込んでいるところを部下に発見され、救急車で搬送されたが意識が戻ることはなかった。まだ62才だった ~ 葬儀、初七日、参列者名簿を整理してお礼の発送、法務局に出向いて実家の登記状況を調べたり、などなどを済ませて東京に戻ってきたその足で、当時付き合っていた今のカミさんと恵比寿ガーデンホールに向かった。

ご覧いただければ解るように、コンセプトは"ファッションショー"、それもカール・ラガーフェルドのシャネルのショーのパロディが多い。~ デザインの良しあしではなく、ブランドのネームバリューそのもので価値が評価されてしまう空虚なファッション・ビジネスを茶化したものだが、彼らはそれをさらに”PIZZICATO FIVE TOKYO”というロゴを多用することで自分たちのバンド名をブランドに見立て、ショーを展開している。

和歌山から戻って来たての私の目に、これほど「東京的な」ショーは無いと思えた。父親を亡くしたことと、残された母親のことを考え密かに関西への転勤希望を出すことを考え始めていた自分、そのことを隣にいる彼女には打ち明けられていない ~ いつまでも続くことのない今の東京の生活が急に愛おしいものに思われた。90年代東京に誕生した「渋谷系」と言われた一群の音楽、そのあらゆるジャンルの音楽・スタイルを自由に選択し戯れる様は、70年代末に上京した自分の18年間の東京生活の帰結だった。若者の主張の手段だった音楽は、商業化のプロセスでより自由な表現と空虚な記号性を獲得するに至る。それは私にとって文句なく「楽しい」東京の生活そのものだ。

先日、父親の二五回忌を無事済ませた。私は当時の彼女とその後結婚し、息子と三人で今は西宮に住んでいる。母親も元気だ。そして小西康晴と同い年の私は来年還暦を迎える。気が付くと、父親が亡くなった歳はもうすぐだ。

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