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あっち側とこっち側が同じ側になる瞬間と、その後に。 -その2-。

では、この抽象性が明らかにしているこの演劇の構造を、演劇は素人の私なりに精一杯まとめておこうと思う。

このストーリーにはいくつかの相反、対立するモチーフが登場する。

そもそも主人公は結合性双生児という設定で、姉は優秀な頭脳を持つが容姿は醜く、妹は天使の様な容姿に恵まれながらも低い知能しか恵まれなかった。この二つのキャラクターに呼応する様に、現世の人々と化け物たち、北半球と南半球で逆向きに廻る渦、医者と数学者の双子の老人、などなど。

冒頭、これら二つはお互いに相容れない対立するものとして表現されている。

    ~ 結合性双生児の姉妹も同じだ。違うのは、この姉妹が別てない身体を前提とした対立物である一方、その他はもともと別々に独立したものとして存在している。 ~ そしてこの別々の者たちが、(ちょうど螺旋階段を昇るものと降りるものがすれ違う様に、あっち側とこっち側が同じ側になった瞬間に、)出会ったとき、この姉妹は分かたれ、その後、あっち側とこっち側で新たな世界が始まった。そして、もう二度と元に戻ることはない・・・そこで、物語は終わる。

そして更に、この物語の一番重要なテーマは「自由」と「孤独」と言うものの「対立と同居」だと思う。

いつも一緒に暮らしている結合性双生児には当然ながら「孤独」という体験が無い。そして利発な姉は、自分がまだ見ぬ「自由な」「孤独」に憧れる。しかし双生児が身体を分かち、別々の世界の住人になって、姉は「孤独」のさみしさを知り、その悠久な世界の拡がりの中で一人で生きていく自分自身をあらためて感じる。

正直、最後の20-30分の展開に充分自分が付いて行けてたのか自信が無いのだが、以上が観劇経験があまりない私の精一杯の解釈だ。もともと原作は16ページの短編なのだが、そこに表現されている「自由を得たが故の孤独と悲しみ」は深い。更に、萩尾望都の別の作品「霧笛」からのセリフの引用が、もの悲しく悠久に続く広く茫漠とした世界を、ひるがえって、そこで生きていく人間の孤独を、良く表現していたと思う。

しかし、演劇というのは、たった一回観るだけで作者の意図を拾いきるのは難しい。繰り返し同じものを観る世の演劇ファンの気持ちが分かった様な気がした。

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