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初めてフルオーケストラの音を聴く


梅雨明け、会社の同僚と、神戸で催された大阪フィルの特別演奏会を聴きに行った。「協奏曲の夕べ」才能あふれる若手ソリストと大フィルのコラボステージ 三奏。 ~ 実は、フルオーケストラの生音を聴くのは生まれて初めてなのである。その生音に期待しながら、でも、クラシックはチャンと勉強してないので、分かるかな?という不安を持ちながらコンサートホールに出向く。当たり前だが、ホールで聴く生音は家で聴くCDとは全然レベルが違った。当然ホールでの生音には、ホールの「鳴り」や「残響」といったものがある。あと「左-右」と「手前-奥」にズラリと着席した演奏者たちの楽器の音がその場所から空間に拡がりながらダイレクトに自分の耳に届く、そのシンプルかつリアル、立体的な音環境の体験に、今更ながら「あ~、これは時々耳のリセットのために聴きに来るべきだな~」と思った。

しかし、である。クラシックという分野を自分は勉強不足であることを考えさせられた。若くて華のあるソリストが精いっぱいの演奏を繰り拡げてくれているのだが、私はその曲の背景と言うものを知らない。

だいたい、20分~40分の協奏曲である。そんな長さの楽曲を作曲者は即興的に作ったわけではなく、そこには音と曲の組み立て、つまり「設計」というものがあるはずなのだ。若きソリストたちも、その曲の成り立ち・構造といったものを理解した上で精一杯の演奏を展開しているはずだ。しかし、私にはそれを理解する知識も、聴きこんだ曲の数も、当然バイオリンやチェロ、ピアノといったトラデイッショナルな楽器を学習した経験もない。素晴らしい音を前にしながら、解釈できない自分にもどかしさが残った。

翌日、会社の近所の書店に出向き、勉強用の本を物色、結構作家別に「この曲はどんな状況の時にどんな気持ちで書かれた」的な本が多い中で、イメージにピッタリの本が見つかった。~ 「徹底図解 クラシック音楽の世界」 ~ まず最初は中世音楽から。冒頭「グレゴリオ聖歌はなぜ、無伴奏・単音なのか?」 答え「聖歌の歌詞は神の言葉なので、歌詞をもっとも生かすことが最優先される。よって、和音も伴奏も無い。」・・・ナルホド、その楽曲の目指すところと、そこで採択されている様式、そこに込められた意味、こういったものを自分は知りたかったのだ、ということに思い至る。

で、この文章を読んでAKB48の楽曲を思い出した。もちろん今時の音楽、伴奏はあるがコーラスやハモリ一切なし。集団で同じ歌詞を同じ音階て歌われると、確かに歌詞に聞き入ってしまう。プロデューサーの秋元さん、作詞家だし、と、一人で納得したりしながら読みふけり、今やっとバロックまで来た。

正直、音程の構成の話になるとついて行けるかどうか不安なのだが、とにかく、この本はしっかり勉強してみよう。きっと、クラシック音楽が違って聴こえて来るだろう。(ひょっとすると、ポップスも。)

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