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人が、思いきり好きに仕事ができる様になるには。


お世話になっていた先輩が、子会社に嘱託として転籍することになった。1996年に関西に転勤してきた時以来20年以上お付き合いになる。広告会社で建築物をつくるという新分野の先頭を走ってこられた方で、一級建築士という意味でも先輩。わたしは実家の事情で関西に転勤してきたが、先輩の下で、本社にいたとしても得がたい高レベルの仕事をご一緒させていただいた。

先輩はすでに1年ちょっと前に一度定年を迎えられており、いまではシニアパートナーという立場で会社に勤務。この度子会社の専門性強化という流れで、その専門性を買われての転籍である。待遇もあがるそうだ。

先日、転籍の話を請けられた際に伺ったお話では、すでに退職金も一度貰っているわけで、今、生まれてから一番お金をたくさん持っているとのこと。で、会社勤めの建築士によくある、フリーランスの建築家になった同期と自分との比較の話になる。もちろん、彼らには定年がないのでいくつになっても状況は変わらず、好きなだけ仕事ができる。一方われわれは、定年で会社勤めをやめてしまうと退職金でちょっと潤うものの、今の様な規模・レベルの仕事はまずできない。で、定年を迎える前後、専門性の高い人間ほど会社勤めという選択は果たして正しかったのかと、いろいろ考えることになる。

入社面接のときは口が裂けても言えなかったことだが、私は正直入社したてのころ早く商売の仕方を覚えて30前にやめて独立しようと密かに考えたいた。しかし入社してすぐ多額のお金を集めて大きなキャンペーンやプロジェクトを遂行する、広告業界の巨大なシステムに舌を巻き、また、付き合っている社外の制作プロダクションの方々の営業的苦労を見るにつけ、また、仕事も多忙を極めたため、独立すると言う様な甘いことは考えられなくなっていった。入社当時、「人間、磨き上げた才能とセンスがあれば仕事は向こうからやってくるモンだ。」と、考えていた。しかし、仕事を請けるにはいろんな意味で「営業行為」が大きな役割を持つ。メガエージェンシーが巨大キャンペーンを請け負えるのも、実績をバックにした営業行為の賜である。単に「専門スキル」や「テクニック」の問題ではない。プロジェクトの完遂には利益共有できる団体や人々との「良好な関係」が大きな意味をもつ。

大学では「営業」を教えてくれない。なので、独立建築家の多くは社会に出てそこで苦労する。会社の様にできあがった「関係」が、「営業的地盤」が、彼らには無い。それを一から作ることから始まる。われわれにはそれがあった。で、定年前後になる今更ながらその事実を目の前に突きつけられる。結局、会社のカンバンで仕事をしていたのか・・・? 仕事が軌道に乗り、ノビノビ仕事をしているフリーランスの同期を見ると、うらやましくも思えてくる。

しかし、先輩の顔は明るい。以前にも書いたけど、食っていくために仕事は必要だがそれ以上を求める -つまり、自分のやりたいことをして、生きていく- には、経済的地盤が必要になってくる。で、先輩は今、一番お金を持っている。定年後に専門性を買われての嘱託なので、もう出世のことなんかも考えての会社や組織への気遣いも極小化される。しかも、会社のカンバンは使える。先輩は、一見自由に見えるフリーランスの同期以上の自由を、今手にしているのではないか。

今年は、ビートルズの"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band"が発売されて50周年。タワレコでも、お値段18,000円也の記念デラックエディションが発売中である。この珠玉のアルバムは、人気が出て収入を得たビートルズが、コンサート活動を一切取りやめ、スタジオにこもって自由に作った。アルバムまるまる使って一つの世界を作るという野心をかなえられたのも、シングルの売り上げを気にしなくてよくなった、という経済的地盤の賜である。

アーチストにとって、経済的な安心は創作活動を行う上で大事な条件だ。

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