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読書に目覚めさせてくれた先生と本。

小学六年生の時に担任になった先生は大学で哲学を専攻していて、職員室のデスクにも「サルトル」の新書が置かれている様な方だった。で、佇まいもなんか芥川龍之介に似ていた。

で、先生がある日、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を課題図書に出した。ご存じ、大泥棒のカンダタが、天国の仏様の計らいで降りてきたか細い蜘蛛の糸につかまり、地獄から抜け出そうとしたところ、同じ地獄の亡者たちが我もわれもと蜘蛛の糸につかまりはじめ、蜘蛛の糸が切れては困ると、カンダタが彼らを蹴落そうとしたため、その醜い行いに仏様が蜘蛛の糸を切り、カンダタはまた地獄に落ちる・・・という話である。

で、先生が出したお題は「芥川龍之介さんは何が言いたかったのか。(=主題)」だ。

先生は、この物語をいくつかの段落に分け、その段落ごとに作者が言いいたいと思われることを短い文章で僕らにまとめさせ、さらに、その段落の中で関連性が深いものをいくつかの固まりにして、同じように作者の言ってることをまたまとめさせた。で、これを繰り返して、最後にこの固まりがお話し全体の大きな一つの固まりになった時、作者の言いたいことが分かる、という読解法の指導だった。当然、そのプロセスで生徒ごとに目の付け所が微妙に違ったりするので、出てくる答も違ってきたりする。とは言うものの、概ねこの物語の場合、「自分のことばかり考えて、思いやりのない行いをするヤツは悪いヤツで、バチが当たる。」的な答になるだろう。

実は先生、授業で僕をよく当てた。 ~ で、この日も当てられて僕もご多分に洩れず、「悪いヤツにはバチが当たる」的な答えをした。すると先生が、最後の「蓮の花が何事も無く風に揺れていて、天国はそろそろお昼になる。」という終わりの段落も含めるとどうなるか、と、訊き返されて、「細い蜘蛛の糸に掴まって必死に逃げ出そうとしている時に、他の者を蹴落そうとするのは、風に蓮の花が揺れるくらい自然なことだ。人間とはそういうものだ。」みたいな答をした。で、先生に「ご名答!」とほめてもらった。このあと、授業は性善説と性悪説の話になっていったが、このあと、この「性悪説」が僕を苦しめることになる。

小学時代は団体生活を前提に、お互い思いやって生きていく姿勢を基本的に教えられる。そこに「性悪説」である。クラスメートがみんなカンダタだったら、この世は闇である。ほんとに人間はカンダタなのか??? と小学生のぼくは悩むことになる。おりしも、連合赤軍・リンチ殺人事件というのがあって、いっしょに運動をしていた仲間の殺害に加担したメンバーが取り調べで「加担しなければ、自分が殺された」と答えたという話や、あさま山荘に機動隊が突入したときメンバーが人質を盾にしたとか言う話を新聞で読むたびに、この「人間はみんなカンダタなのか」問題がボクを苦しめた・・・自分の親や友達がいざと言うときにカンダタになってしまったら、自分は一人でどうしたらいいのか?  と言うか、仲のいい友達や先生がそんなひどい人であるならば、それはとても悲しいことで、自分にはとうてい受け入れられないことだった。

この問題は到底簡単に答が出るわけではなく、大人になって「いゃ、それほど世の中捨てたものじゃない。」くらいの気分にはなっているが、もちろんケリがついている訳でもない。今まで生きてきて、影響を受けた本を三冊挙げよと言われれば、迷わずそのうちの一冊は「蜘蛛の糸」だ。この本でぼくは読書に目覚めたといっていい。

先生、ありがとうございました。どうしていらっしゃるのでしょうか。

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