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アーチストが外向きの時、内向きの時。

ミュシャ展を観て、彼のパリでの商業美術家としての成功とそののち晩年に大作に取り組むに至る経緯を再確認し、そしてそれと前後してCICADAの及川さんから「しばらくワンマン出来ないかも」発言があった。ここ最近あったそれら一連の出来事から思い当たったことがあるので、今回はそれについて書いておきたいと思います。かなり理屈っぽくなりますので、興味のある方だけ読んでください。

アーチストは「外向き」に活動するときと「内向き」に活動するときがある。~ パリで演劇のポスターや香水・ワイン・スウィーツなどのパッケージデザインに取り組むミュシャは「外向き」で、故郷・チェコで家族にも会わずスラブ叙事詩を描くことに没頭するミュシャは「内向き」だ。

多くの場合アーチストはデビューしたての時は、業界内に自分のポジションを築きたくて「外向き」に活動する。名前を売りたくて。ほとんどスキャンダラスなタレント活動の様なものもある。その段階のアーチストは多くの場合、絵で、音楽で、芝居で、文学で、写真で、映画で、あるいは建築デザインで、自分は本当に食っていけるかという不安を抱えており、その不安ゆえに必死にマーケットに食い込もうとする。 ~ そして、そこそこ名も売れだして、もともとやりたいテーマに取り組めるだけの経済的その他の環境がそろったとき、創作優先で「内向き」になることが多い。わかりやすいたとえで言うと、私が一番サブカルミーハーだった80年代のタモリさん、デビュー当時のイグアナの真似とか、四つん這いでお尻にろうそく立ててとかといった芸、また竹中直人さんの顔面物まねや、伊武雅刀さんのスネークマンショー、みんなかなりドロドロとアングラ的に過激でした。でも皆さん今では大御所。仕事を選べる立場になり、自分のテーマにそったスタンスで仕事をしている彼らしか知らない世代には想像がつかないかと思いますが。 (余談だが、最近の芸能界では、こういった売れ始めのころの恥ずかしい過去を類型化して"黒歴史"と言う。)

すでに述べたように、この進化プロセスはアートや音楽の世界にも当てはまる。もちろん、表現者としての最低限の資質、つまり、感受性、批評精神、センス、表現テクニックその他の基礎的な素養があり、訓練がなされた上での話ですが。

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ピカソの出世作になった「アヴィニョンの娘たち」。たぶん売春宿がテーマで、かつ立体派を始めた彼の動機は「女のお尻と胸を同時に見たい」から始まったらしいですから、アカデミックな絵画の文脈とは一線を画したアバンギャルドさがある・・・しかし裸婦という西洋絵画のテーマを採用しているという一点において、アカデミックな絵画の文脈に通じている。そして、その伝統的テーマを破壊的に表現したことで、彼の作品は批評の対象たることができた。

とにかく、先ずは批評の対象たりえること。耳目を集め批評されないことには、マーケットには入っていけない。

ビートルズがデビュー前、それまでのメインストリームであったブルースやジャズといった音楽は商業的には大人のマーケットを対象としたもので、(今では想像できないことですが、)そのころ若者対象の音楽というものは存在しなかった。そこに当時としては挑発的なロン毛と大音響で「You'll let me be your man」と叫ぶ若者の登場はかなりスキャンダラスなものだったはず。(このスキャンダラスさは、常にさらなる過激さを求められる二番手、ローリング・ストーンズによりにエスカレートする。特にブライアン・ジョーンズの私生活における不良ぶりはちょっと気持ち悪いくらい半端でなかった。)

そして商業的に成功した彼らのその後はというと、ビートルズはライブでの熱狂とはおさらばし、スタジオにこもって自分たちのテーマやオリジナリティを追求するスタンスを取り始める。サージェントやアビーロードはその珠玉の成果。一方、ローリング・ストーンズはジミー・ミラーというプロデューサーと出会い、彼らのルーツであるリズム&ブルーズを掘り下げ続け、これもベカーズバンケットという珠玉のアルバムを制作し、年齢を重ねた今ではトラデッショナルなブルーズバンドの色を濃くしながら50年以上バンドを存続させている。(その過程で、単なる不良少年から脱却できなかったブライアン・ジョーンズはメンバーから三行半をたたきつけられ、非業の死をとげている。)

最近復活した ゲスの極み乙女。も、デビュー当時はライブでお笑いの寸劇をしていた。(初期の彼らのMVを観てもらうとそのカンジがわかる。ほな・いこかは美貌の殺し屋、休日課長はいやらしいお金持ち、ちゃんMARIはなぞの中国人だったりする。今では考えられないことですが。) 紅白出場という栄誉の直後、例の一連の文春砲により内向きにならざるを得ない状況になったが、それでも彼らについてきている一定数のファンがいる状況の中での復活。ある意味限定的なマーケットの中でだが(彼らに今までの様なコマーシャルタイアップの話が再び持ち掛けられるのは、かなり先になるだろう)選別された依然強固なファンが居続けているという土壌と、内向きにされたことで活性化した創作意欲といったものにより、今後「やりたいようにやる」環境が整ったともいえる。さて今後、彼らはどう言う展開を見せるか。

そして、わがCICADAだ。メジャーデビュー後、何かテーマを見つけて内向きになりつつある様に感じる。次のステップに向けて、外向き、内向きを繰り返し、マーケットに認められつつ、自分たちのテーマにも忠実に、成長を遂げていってほしいと切に願う。

大衆消費社会のクリエーティヴは、ビジネスとうらはら、切っても切れない関係にある。

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