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ホキ美術館の画家たち②~諏訪 敦

諏訪さんの作品を初めて観たのは奈良の美術館で開かれた写実絵画展で、そこに出展された老舞踏家の肖像をだった。舞踏という肉体的にも精神的にもハードな職業を何年も続けてこられた時間が刻み込まれた肉体に迫る描写に、単に「写実」というものを超えた何かが描かれている様に感じた。

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日曜美術館でも紹介されたのでご存知の方も多いと思いますが、写真は、「亡くなった愛娘を、諏訪先生の筆で蘇らせて欲しい。」という依頼人の要望に応えて描かれたものです。

その娘さんは海外でかなりひどい交通事故に巻き込まれて亡くなった。その遺体の損傷の激しさゆえに亡きがらにも会えなかったこともあり、ご両親は、娘の死という突然襲ってきた理不尽な不幸を受け入れられない状況にあった。

そこから、諏訪さんの苦闘が始まる。なにしろ会ったことが無い、今から会いようも無い人を写実するという離れ業を依頼されたわけだから。あまり詳しい記述は出来ませんが、諏訪さんはお父様・お母様の頭の形を手で触って、このお二人のお子さんだから・・・と、想像したり、手の形が今ひとつイメージできないからと、京都の義手メーカーに依頼してピンとくる手の形を探してもらったり、そもそも、悲劇的すぎる事故ゆえに現実が直視できないでいる依頼人の要望に盲目的に応える事が正しい創作活動なのかと悩んだりする。

そして、出来上がったのが写真の作品 ~ 手には彼女が愛用していた時計。少し笑っているような、でも、淋しげにも見える表情でご両親を見つめ返している。この絵を見て、依頼人は感動の涙を流す。

うまく言えないけどここには「時間」が表現されていたと思うのです。

今までご両親が娘さんと過ごしてきた時間、これから、ご両親の心の中で生きていく彼女が過ごす別の時間。「これまでと、これから」が表現されている様に思えた。だから、その共有してきた、共有していく「時間」を感じたご両親は涙を流したのかな、と。

写実絵画は、驚異的な「本物そっくりさ」に眼が奪われがちですが、写実画家たちは、対象に肉迫し描くことで、単に写実する以上の世界を結果的に獲得するように思うのです。私が初めて諏訪さんの老舞踏家の肖像を見たときに感じたものもそれだったのかと、改めて自分なりの理解が深まったような気がしました。

(タイトルに反する様で恐縮ですが、この作品はご両親が所蔵されているもので、ホキ美術館に展示されていません。ただ、亡くなられたお父様の肖像など、時間の蓄積の表現という視点から見ると諏訪さんの創作姿勢がリアルに感じられるものが収蔵されています。画集も出版されています。高くないです。是非、ご覧あれ。)

 
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