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MUSIC in the '80s ⑧:Once in a lifetime ~TALKING HEADS

約二ヶ月にわたりお話ししてきた"MUSIC in the '80s"海外編、いったん、ここで終わりにしたいと思います。

で、最後にご紹介するバンド。都会的という意味で、前回ザ・カーズをご紹介しましたが、80年代、「都会的」という意味では、これ以上都会的なバンドも無かったでしょう。逆に都会でしか成立しないタイプの音楽、 トーキングヘッズ "ワンス・イン・ア・ライフタイム"。

別段、ものすごく演奏や歌が上手いとか言うのではないのに、トーキングヘッズはバンドとして別格、それも玄人っぽいバンドという雰囲気があった。

多分、そのセンスに時代の先頭を走っている尖ったカンジがあったからだと思う。歌われているテーマは、消費生活の快楽と空しさや神経症的な気分、それらがアフリカンビートに乗せて稀代のアーチスト ディビッド・バーンのボーカルによって語られる。

彼の表現フィールドを中心に、クラウス・ノミやペーター佐藤といったアーチストや日本ではプラスチックスというバンド、ピテカントロプスというクラブなどなど、当時のある種の先端的センスを持っていた人々がサロン化しているイメージがあった。

そのインテリっぽい表現内容は難解で、いわゆる当時嘲笑の対象になっていた"クラい"と言われる分野のものだったと思うのだが、2時間のライブを収録した映画"STOP MAKING SENSE"が、当時のパルコパート3のシアターで上映され、こういった音楽に縁もゆかりも無さそうなおにいさんおねえさんまでもが観に行って「よかった~、わたしああいうのスキ!!」のたまわっていた。80年代初頭、インテリであることがミーハー達にとっても重要なスタイルであり、テーマだった。

このシリーズの一旦のまとめに、最後にちょっと理屈っぽい事を書きますので、興味のある人は読んでください。

80年代に"ヘタウマ"というスタイルが主にイラストレーションの世界が出始めた。その背後にあったものは、それまで信じられていた「大きな物語」(=それまで社会を取り巻いていたあらゆる権威のバックボーンとなっている思想。たとえば、モダニズム思想やマルクス主義、もっと言うと「神」とか。)が疑われはじめ、そんななかで逆にあらゆる権威的なものから距離をとった表現行為が活況となった。この映画のタイトルが"STOP MAKING SENSE"=いちいち意味づけするな なのは、「意味」の固まりである「大きな物語」の否定、というムーヴメントと無縁ではない。~ふつうでは、絵が下手である事、権威なんて微塵も無い事は、ビジネス上話にならないはずだが逆にそれが商売になってしまった「ヘタウマブーム」は、その一例。

むつかしい言葉で「ポスト・モダン」といわれていた思想潮流とは、私的解釈ではそういったものだった様に思う。このトーキングヘッズもそんな中で出てきた「ヘタウマバンド」と見ることもできる。とにかく、どんどん軽くなっていく世の中に対して説得力をもっていたのは、こういった大きな物語を背負わない、「脱構築」した(あるいは、"しようとしていること自体を")表現するアーチストたちだった。YMOがそれまで音楽の"ノリ"の根幹をなすグルーヴを形作るリズムセクションを機械任せにして、汗をかかずに演奏するというスタイルをつくったのもそういった文脈の中で起こった事で、その中心が、日本を代表する権威的ベーシスト・細野晴臣であったのは象徴的。それら一連の現象の背景にあるのは、「大きな物語の喪失による個人のアイデンティティの危機意識」である。

80年代はその軽さのウラに、ある種の絶望を抱えていた。ディビッド・バーンの歌い方に、都会人のパロディを感じた人がいたら、多分あなたは彼のメッセージを正しく受け止めたと思います。

さて、来週はわたしにとって大事な日が近づいているので、それにちなんだお話をさせていただきます。その次からは日本の音楽に目を向け、"J-pop in the '80s" を始めます。 引き続きよろしくお願いします。

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