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J-POP in the '80s ③;上田正樹

マイホームページの、その他・コレクションなど、のElectric Bassesのコーナーに登場する高校時代の友人、●村くん。彼は、高校生ながらプロの様にギターが上手かった。それは単にテクニックの問題ではなく、ブラックミュージックに対する解釈のセンスというか、グルーヴというものに対する理解が同世代のアマチュアミュージシャンよりも頭一つ抜きんでていたんだと思う。彼は毎朝、白い布製のショルダーを袈裟がけにして自転車通学してくる。そのショルダーに入っていたのが、上田正樹のサイン。

70年代半ば音楽の流行はフォークからロックに移行しつつあり、東京ではキャロル、福岡にはサン・ハウスが登場。そんな中で、関西で(もともと虐げられた黒人の音楽である)リズム&ブルースを、大阪・西成区的解釈でみごとにローカルバンドのアイデンティティとして洗練、結実させたのが、"上田正樹とsouth to south"だった。(風貌・言動は洗練の対極ですが・・・でも、演奏は当時としてはものすごく垢抜けてた。)とにかく上手かった、というか解ってる感満載、友人・北●くんは上田正樹にあこがれており、和歌山の子なのに大阪弁を喋ったりしていた。

80年代に入り上田正樹は活動の拠点を東京に移し、奇しくもそのタイミングで私は東京の大学に進学。和歌山ではなかなか観る事が出来なかった彼ののライブ・パフォーマンスを、ライブハウスや学園祭で何度も観る事が出来た。世はまだHi-fiビデオデッキもレーザーディスクも登場前、ライブは本当に一回きりのものだった。ぼくは彼らの演奏を観る度、その興奮がずっと続けばいい、出来れば、このグルーヴ溢れる時間・空間をそのまま凍らせて冷凍保存してしまいたい、そんな気持ちにさせられた。 ~ その後の「悲しい色やね」のヒットはご存知の通り。

一方、●●くん、同窓会にも来ないで、何しとるんかいな。

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