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あっち側とこっち側が同じ側になる瞬間と、その後に。


舞台「半神」を観た。

実は私は観劇の経験があまりない。むかし、大学入学で上京したてのころ、当時「つか・こうへい」が飛ぶ鳥落とす勢いで、友達に誘われてインテリミーハーの殿堂・紀伊国屋ホールに「熱海殺人事件」を観に行った。で、その観客と劇団の間のあまりの「お約束」の多さ、内輪ノリ、になんか田舎者の疎外感を感じてしまい、以来「演劇」というものに無意識に距離を置いていた様に思う。(話はそれるが、今改めて考えるに、そもそも昔から演劇もライブも「お約束」だらけのものなのである。歌舞伎を見てみ。)

演劇観るのは何年振り?何十年ぶり? しかも、誘われずに自発的に観に行くのは初めて。理由は、原作が萩尾望都の名作で、主人公を乃木坂の櫻井キャプテンが務めるということに強く興味をひかれたから。 ~ 多分、原作の主人公のイメージが強く櫻井さんと重なり、期待させるものがあったのだと思う。~優秀な頭脳を持ちながら、美しい妹を疎んじる容姿の醜い姉。世間的な基準でいうと、櫻井さんは充分美人であるのだが、その顔立ちで「やせこけた醜い姉のさみしさ」を演じることに強い期待を持った。彼女の声質的にもイメージが膨らむ。

野田秀樹・夢の遊眠社版の映像で予習をしてから、いざ、大阪・OBPの松下IMPホールに向う。観客の、ふだんから演劇よく観てます系女子グループ、わし80年代のサブカル演劇くぐり抜けてきてますねん的初老のおじさまおばさま、ぼく櫻井さんのファンです少年、などなどに交じって数十年ぶりの演劇鑑賞が始まった。

~ 音楽がいい。炎天下、アスファルトの上を歩いて来てほてった体を心地よく冷ましてくれる劇場空間、薄紫いろの舞台照明によく似合うクールな楽曲だ。 ~ 今回の舞台は、総じて舞台セットも衣装や演技的にも、遊眠社のそれらと比べて「抽象度」が高く、野田版の「言葉遊びとお茶目さと、最後にはホロッとさせる展開」とはまた違った味わいがあった様に思う。  ~ DÉ DÉ MOUSEの繊細で機械的なサウンドは、そんな演出に良くマッチしていた。

そして、この演出全体の抽象度の高さが、もともとこの台本が持っていた重層的なストーリーの構造を強調し、よく、表現していたと思う。(・・・来週に続く。)

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