孤独について(2) ~ “黒い羊”
わたしの今年の一番のヘビーローテーションは、意外なことに「欅坂46」になった。きっかけは新曲「黒い羊」のMVだった。センターの平手さんの存在感については、以前、映画「響-HIBIKI-」について、このblogに書かせてもらった。(→2018.9.30. 平手のロケンロール )
その時、「創作者である個人が戦うべき対象は、何かあればイナゴの大群の様に攻撃し炎上するSNSだったり、煽るマーケティングを展開するマスコミだったりするわけで、ある意味、敵や仲間が分かりにくく見えにくい時代になっている。」と、書いた。
二階建ての廃墟の様な建物、その建物の外で響き渡るピアノからMVが始まる。救いのない様なバラバラでまとまりのないな世界が展開されているところに、花を持った平手がたたずむ。花は言うまでも無く「愛」や「慰め」「差し伸べられる救済の手」の象徴だ。しかし、個々の事情で傷ついた人々は容易に心を開かない。抱きしめに行っては突き放される状況がワンカメの主観映像で延々繰り返される。
突き放され、でも、追いかけて・・・という繰り返しがなされながらも、階が一階・二階そして屋上に行くに従い、少しづつ交流やまとまりが見えはじめる。希望が垣間見えたか。 ~ しかし、平手さんは相変わらずがまとまった人々と対峙したままでMVは終わる。最後まで平手さんは孤立したままの役。苛立ち、悲しみ、最後は何か思いつめたような覚悟したような表情で。彼女はなにを覚悟したのか。
~ もちろん、「白い羊の群れ」の中で「黒い羊」として生き抜くことだ。