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わたしの中のParisが消えていく。

ブランド、SONIA RYKIELが消滅する。

1993年、実はわたしはソニア・リキエルと仕事をしている。 ~ 担当しているクライアントより、ひょんなことからファッションショー開催したいとの希望があり、ツテをたどって世界三大コレクションの都市からそれぞれ、ニューヨークからダナ・キャラン、ミラノからクリツィアのマウリッチア・マンデリ、そしてパリからソニア・リキエルにお声がけさせてもらった。おかげ様で超多忙な彼女らのスケジュールが調整出来て、ラッキーにも同時来日してもらえた。なお、「〇〇ガールズコレクション」という大規模イベントが一般化している現在と違い、当時ファッションショーはもっとプロフェッショナルで、一般とは一線を画したファッションビジネスのエクスクルーシヴな世界だった。

世界第一線のファッション・デザイナーと仕事が出来る機会に恵まれながら、正直女性のファッションというものがよく分からず、また、スノッブな業界のノリにも馴染めないで居心地の悪さを覚えながら本番を迎えた。ステージの上はデザイナーの領分なので決して口を挟まず遠巻きに眺めることを決めこんで、スポンサーとの調整と現場の運営周りに集中して仕事をこなしていたが、リハーサルでソニアのステージを観た時、久々にクリエイティヴな興奮を覚えた。

彼女のデザインは、気高くに見えてかわいらしく、ストイックに見えて豊潤、哲学的だけど遊びがある、そういった矛盾した要素が、自然に一体化している様に感じた。これぞ、クリエイターの仕事 ~ ソニア・リキエルという人間の大きさを見るようだった。

本番前日、夜中に準備が終わり、そのままタクシーを飛ばして(今は無き)青山ブックセンターに走った。彼女の著書を三冊見つけて購入、翌日の本番前にソニアをつかまえて、カタコトの英語で彼女のステージを絶賛し、本にサインをもらった。~ ”Thank you”と言ってくれた。

イベント本番が終ったその週末、青山のリキエル・オムに向かう。

黒いコットンのスーツを買った。絞られたVゾーンが禁欲的でお行儀よく、かつ少年の様なかわいらしさも兼ね備えたソニアらしいデザインが気に入った。~ 以来25年強、修繕を重ねたスーツは満身創痍、使用感いっぱいだが、未だ大事な商談には着ていく。いわゆる私の「勝負服」だ。 ~ 「ソニア先生、私をお見守り下さい!」

ファッション業界も巨大資本によるコングロマリットの寡占化が進み、独立系のブランドが生きにくい時代になっている。

1950年代、男の子が着る”ニット”を、才能あふれる若い女の子が女性向けにファッショナブルに昇華させた。そのデザインに雑誌ELLEやオードリー・ヘップバーンが注目、彼女がパリで始めた小さなブティックは評判を呼び商業的に大成功をおさめた。以来ソニアは”ニットの女王”と呼ばれる。1980年代には、日本でも輸入代理店であった西武セゾン・グループの稼ぎ頭になる。(ちなみにうちのカミさんは、私と結婚前はこの西武系輸入商社の”エルビス”に勤務していた。)

残念なことに、2016年にソニア・リキエルは亡くなる。そしてさらに今回、自由でクリエイティヴな女性の感性で成り立っていた”デザイナーズ・ブランド”、その早すぎる消失である。

商業デザインは、常にビジネスとクリエイティヴのはざまで揺れ動く宿命にある。そして、才能のある若者のクリエイティヴなパワーをすくい上げ、ビジネスとしてのサクセスを実現する場を提供するのが「都市」の役割だった。いわんや、それが、ファッションというフィールドにおけるParisのポジジョンであることは言うまでもない。しかし、である。昨今、「デザイン」の主戦場は、ファッションを始めとした「モノ」から「ビジネススキーム」の様な「仕組み」の方へシフトしている様に感じる。現代のビジネスのスターはクリエイターではなく、ITベンチャーの様なビジネスマンであることがその証左だ。

デザイナーズ・ブランドが成立しにくい時代、ファッション・ビジネスの中で個人の営為はその価値・居場所をどこに確保できるのか。モノづくり、デザイン、どこに向かうのか。一つの時代が、私の中のParisが、消え去っていく様なさみしさを感じる。

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