今を去ること40年近く前、この建物を訪れた。建築を専攻する大学生だった私は、山のように出される課題に、毎日、クロッキー帳を片手にエスキスに明け暮れていた。当然、ヌケのいいアイディアが出たとき、設計の課題はあっさりとまとまり、先生方のの評価も高い。しかし、天使がいつも降りて来てくれるとは限らない。思いつきを紙に描き殴るだけの日々がむなしく続くことも多かった。 ~ こんな、思いつきばっかりに頼って課題をこなしてていいものか、何か自分のスタイルやテーマを作らないとダメなんじゃないか? 意識はアイディアから設計の構想をまとめるプロセスや手法に向かっていった。

 

この建物を設計したのは、磯崎新。東大で丹下建三に師事するという当時の建築業界のメインストリームを歩みながらも、コンペの審査員をすれば図面のないコラージュと文章だけの応募作を一位に選ぶという(雑誌・新建築主催 住宅設計競技1975「わがスーパースターたちのいえ」)様な、建築家と言うより、その現代アート作家のような超コンセプチュアルな振る舞いで、何か異端の匂いがする建築家だった。彼は本も多く書いており、自らの作品や行動に関する発言が多い。作られた作品を作家自らが解説してくれるので、大学生が設計プロセスを勉強するのに非常にいいテキストである。

 

この建物のテーマは「増殖」と「空洞」。当時盛んだった、マスメディアによる均質なイメージの増殖を批評の対象にしたポップアート・ムーブメントの磯崎的解釈である。隅からすみまで徹底された正方形のモジュールの中に、全ての空間を収めてしまう、のデザインは、観る者の感情移入を拒否するような無機質さにあふれており、あらゆる意味づけが不可能なデザインと言っていいだろう。 ~ 無機質なキューブの増殖、そしてそのキューブは意味を持たない、持てない。

 

今日、彼は建築界の重鎮の一人と言ってもいいだろう。ただ彼のように異端とされる人が逆にメインのポジションにいるというのが、ポスト近代以降の建築家の営為・役割の混迷の結果であり「今日的」だ。

 ~ この建物を観て以降、わたしは設計に「批評性を込める」ことを意識し始める。

 

 

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February 2, 2019

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