TOKIO 【追 記】
2018年最初のblogで沢田研二のTOKIOを聴いていたら、いろいろ思い出したので追記します。
この曲は、1980年の元旦にリリースされた。
東京から里帰りした大晦日、紅白歌合戦を観終わり母の作った年越し蕎麦を食べながらそのまま深夜テレビを観ていると、ジュリーが旭日をあしらったデザインのパラシュートを背負って登場、この曲を歌った。誰もが次の10年どんな時代になるか期待していたそのタイミングの1980年代の幕開けに、ジュリーが出したアンサーだった。それまでも、いろいろ冒険的な表現でぼくを楽しませてくれていたジュリーだったが、この瞬間「あ~、彼のファンで良かった」と思った。
このあと家庭用ビデオデッキや音声多重放送によるステレオ放送の一般化によりMTVが登場、アーチストの新曲のリリースにはプロモーションビデオの制作が当たり前になっていく。テレビも大型化し音楽表現は急激にビジュアル化、プロモーションも、広告や出版といった別メディアを巻き込み統合的に活用され「メディアミックス」「マルチメディア」なんて言われた。
創作活動もプラスチックスの様にデザイナーやスタイリストが音楽をするというスタイルが登場、下手だろうと何だろうと、あらゆる表現行為がクロスオーバーして何でもありになる1980年代、その幕開けの元旦にリリースされたのが、このTOKIOだ。
新しい時代を予見するような沸き立つギターのリフ、ホンキートンクなピアノ、うなるベース、ストーンズの様な正統派ロックをベースにしながらも、チープなシンセがサブカル的軽さのあるいい味付けをしている。 翌日、元旦の親戚廻りのあと、待ちかねてレコード屋に飛び込みリリースしたてのアルバムを購入。帯の「眠れなくなるよ。」のコピーが効いている。カセットテープにダビングしてウォークマンでヘビーローテーション、アルバム付属のジュリーのピンナップは卒業までぼくの机の前の壁に飾られる事になる。
♪欲しいなら、何もかも、その手にできるよ A to Z ~ そうか、そんな東京に今自分は暮らせているのだ。~ こんな時代の気分もあって、表現行為の中で最も重い「建築」を専攻していた自分が、このあと「広告」という逆に最も軽い世界に向かっていく。
お正月にふさわしい曲に今年はこの曲を選びましたが、考えてみるとそんな自分の一時代を象徴する曲でした。