ARCHITECTS in the '80s だれも知らない建築のはなし
先日、大学の恩師の傘寿のお祝いパーティに出席した。その時の先生のお話。
「砂漠を歩いても足跡はつかない。パリを歩いても足跡はつかない。われわれの世代はこれからどうなるか、どうなるべきか、にばかり傾注し、気がついてみると建築家が社会から浮き上がった状態になってしまった。建築家の社会的ポジションが低下している。というか、芸術全体が低下している。たいへん情けない状況が進行し続けている。これは、足跡を残してこなかった結果かと、最近考える。建築家は何をすべきか、建築家とは何かを考えるとおのずと答えが出るはず。」
世界的に見て、日本の建築デザインレベルは極めて高い。建築界のノーベル賞・プリツカー賞の受賞者数をみても、それは明らかである。だが、建築家という職業は日本の社会に根付いていない。その職能で社会に貢献できていない。同じ様に明治維新にその概念が輸入されたプロフェッションである医師や弁護士とはえらい違いである。
映画「だれも知らない建築のはなし」を観ると、今をときめく日本の世界的建築家 安藤忠雄さんも伊藤豊夫さんも「自分は建築で食っていけるのか」と、若い時代必死だったし、「食っていける様に」政治的・戦略的に行動したのが磯崎新さんだったというのがよく解る。医師や弁護士と違い、それだけしないと建築家は世の中で仕事や役割を与えられなかったと言う事だ。~今もその状況はさらに過激に進行している。先生はそういった状況を嘆いていらしたのか。
建築設計は、医療や法務といったサービスと比較すると組織化・商業化が進み、建築家の手を借りずとも代替する組織や会社が多く存在する。このことが、建築家が社会でさほど必要とされない状況を生み出している。ならばいっそ大衆消費社会のコマーシャリズムの中に身を投じて、そこから「建築が成立するプロセス」を捉え直してみようと思ったのが80年代の私だった。マス・コミュニケーションを背景に、多額のお金がやりとりされる広告業界で、おそらく個人事務所を開業していたらとても取り組めなかった大きなイベント・プロジェクトも経験させてもらったし、もちろん十二分に食って行けてる。
ただ、それで終わりでいいのか、と、考え始めた。先生は新しい建築家像の構築・獲得を私たち生徒に求めている。私の守備範囲である、博覧会のパビリオンの様な「広告的なる建築」は、会期が終われば当然撤去され、後には何も残らない。「足跡を残す」ものではないのは、イベント・仮設建築の宿命である。
「新しい建築家像」~ぼくの80年代はケリがついていない。 先生のお話を、もう一度ゆっくり聴いてみたい。
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